保育士の間ではとても有名な、加藤 繁美先生の講演『心の育ちと対話する保育実践』を久しぶりに聴いて、とても分かりやすく、ストンと腹に落ちる内容で、しかも子育てにも役に立つと思ったので、シェアしたいと思います。
なぜ、同じ保育士資格を持っているのに、同じような保育ができないのか?
この理由が、ここにあったのか、と納得しました。
保育者の専門性を構成する二つの要素〜保育観の二重構造
保育士の頭の中には、
A 概念的知性
- 保育思想・保育理論
- 発達・教育理論
- ?
B 直感的応答力
- 教育経験の履歴
- 生活経験の履歴
- ?
AとBの二つの概念が存在しています。
さて、?マークには、何が入るでしょうか?
この?マークに入る内容が、とても大切なのです。
Aは、学校などで資格を取るために勉強したこと。
言葉で知っている知性と言えます。
Bは、身体的知性。直感。感性。感覚。
身体が身につけた知性と言えます。
この二つが存在しています。
普段の生活の中で、子どもに対応する時に使用するのは、AとBどちらだと思いますか?
答えは、Bです。
何をすれば、勉強したはずの保育理論や発達理論が役立つのか?
スポーツと同じで、本で勉強して理解したとしても、実際やってみないとできない。
どうしたら、できるようになるのか?
それには、
実践記録
を書くこと。
分析
することで、
A の?とBの?が、埋まります。
Aの?
生かされた理論
Bの?
身体化された理論
実践の場で保育理論や発達理論が生かされてくるのです。
保育がうまくいかない時こそ、実践記録を書く
2年目くらいの保育士の実践記録です。
《事例》
保育士「お友だちに悪いことしちゃったら、どうするんだっけ?『ごめんね』って言える?」
K「ウン…」(うなづく)
保育士「じゃ、『ごめんね』しようか。」
K「・・・・」(何も言わず、頭だけ下げる。)
保育士「頭下げるだけじゃ、わからないよ。K君、ちゃんとお口で言えるから、お口で言わなきゃ」
K 保育士の「お口で」という言葉に対して、自分の口を指差す。
保育士「そう。そのお口で言うんだよ」
K「・・・・」先程と同じように、コクッ、コクッと頭だけ下げる。注意され、シュンとなるが、保育士を見ようとせず、キョロキョロしている。
どうしてゴメンネが言えないんだろう…。ふだん、ちょっとしたときには言えるのに…。悪いと思ってないのかな?
この事例を読んで、どう思いましたか?
「しか」「だけ」の教育学から、「を」「なら」の教育学へ
保育士たちが分析した結果、
「頭下げるだけじゃ、分からないよ。K君、ちゃんとお口で言えるから、お口で言わなきゃ」
の一言が気になる、という結果になりました。
そこで、記録を見直すと、「だけ」という言葉が3つも出てくることが分かりました。
保育士の期待=「ごめんね」という言葉
子どもの現在=頭を下げられた
保育士の立場から見てしまうと、
「頭しか下げられなかった」
子どもの立場から見たら、
「頭なら下げられた」
となります。
子どもの視点で見ることが大切です。
日々の生活に追われていると、なんで上手くいかないのだろう、と思っていることが、
実践記録を書くことで、
自分の子ども見方が分かリ、分析することで、反省し、子どもの成長がよく分かるようになります。
「しか」「だけ」の言葉を、「を」「なら」に変えられるようにしていきたいですね。
ヤダヤダ期の対応
1歳〜3歳の頃にあるヤダヤダ期。
子どもの心が育っていく過程に必要な自我(自己主張)が出てくる頃の対応については、
受け止めて、切り返すことが大切。
『〇〇ちゃんの気持ち、わかったよ。でもね、…』と、
この『受け止め』がとても大切、ということです。
子どもの声や言葉を、どう大人が聞いてくれるかによって、この後の幼児期の中期、後期に大きく成長できるかどうか、が決まります。
自我(自己主張)=ボクも、ボクの、自分で、イヤ
親や保育士に受け止めてもらうことで、第二の自我(社会的知性)ができて、自己内で対話するようになります。
会話と対話の違い
会話と対話の違いが分かりますか?
会話はしゃべることで、相手に伝えること。
対話は、聞くということ。一言もしゃべらなくても、気持ちが通じ合うこと。
「あなたのことを分かりたい」
という気持ちが大事。
自分の声を聞いてもらうことで、人の声も聞こうとすることを覚えていくのです。
第二の自我を育てる遊び
大人に受け止めてもらうことが大事ということでしたが、もう一つ、子ども遊びの中で、第二の自我を育てる遊びがあります。
それは、
ごっこ遊び
普段ワガママを言っている子も、ごっこ遊びの役の中では、お友だちの言うことを素直に聞けたり、役になりきることで、社会的知性を身につけていくことができます。
まとめ
子どもが話せるようになると、どうしても子どもの言うことに振り回されがちですが、
子どもの言葉だけでなく、子どもの視点で、心の声を聞いてあげられる保育士でありたいですね。
子どもたちを動かすこと、コントロールできるのが、良い保育士と思われがちですが、
ヤダヤダ期の難しい時期にも、子どもの気持ちを受け止めながらも、切り返していくことで、これから大きく成長できる子どもに育っていくのです。
時々、子どもたちに対して、『しか』『だけ』と思っていないか?言っていないか?
と、振り返りながら、『を』『なら』と言える保育士、大人でありたいと思います。